中洲の歴史

中洲四方山話

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「中洲」という町が誕生したのは、今から400年以上も昔、慶長五年(西暦1600年)のことです。

西暦1600年に、福岡の殿様だった黒田長政が福岡城を築城した際、博多の町と城を繋ぐため、那珂川と博多川に挟まれた小さな陸地(中の島)に「中嶌橋」を架けたのがはじまりとされています。

中洲が歓楽街として名を馳せるのは、それから200年余が過ぎ、江戸時代後期のことでした。

江戸時代後期に、福岡藩の財政立て直しの一環として、中洲一帯を歓楽街とする施策が行われたのです。

茶屋や芝居小屋を作り、相撲や富くじなども興行し、江戸から歌舞伎役者を招くなど、大賑わいだったと伝えられています。

福岡は武士の街、博多は町人の街。
その中間にある中洲は、双方を共に遊ばせるに都合のいい位置だったのです。

その後、明治時代に入り演劇が流行。映画館が開場となり、大正時代にはバーやカフェが立ち並び百貨店も開業しました。

昭和に入ってからは芸者衆が中洲の顔となり、その人数は500人を軽く超えたと言われています。

時の流れに表情を変えながらも、いつしか「九州一の歓楽街」という名声を確立するに至ったのです。

しかし、華やかだった中洲も一転、太平洋戦争末期の福岡大空襲で一面焼け野原となってしまったのです。

その後の復興では赤線禁止となったこともあって、小料理や飲み屋中心という現在の中洲スタイルとなっていきました。

博多を代表する物産「博多明太子」もまた、戦後の中洲から生まれたのです。

現在、中洲の飲食・風俗店は3500件以上。そこで働く人の数は3万人を超えると言われています。

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